ラストシーン 2005/10/25
ほんの1つ別のファクターや事実が加わっただけで評価ががらりと変わるときがある。
最近、ダスティン・ホフマンの映画「卒業」を10年振りに2度目を見たのだけれど、あの映画といえば、別の男と結婚式をあげている恋人を追いかけ、主役 のホフマンが教会へ乗り込み、窓を叩いて名を叫び、それに応じたヒロインが二人で駆け落ちするシーンがかなり有名なのだが、実はその後に続きのラストシー ンがあった。
手をつないで二人が教会から脱走した後、偶然来たバスの最後尾座席へ座る。
二人の姿を振り返っていぶかしげに見るバスの乗客たち。
乗客が二人を見なくなっても当の本人たちはキスもしなければ目も合わせない。
ホフマンは乗客の視線によって興奮と狂気から抜けたのか、虚脱した表情でただ前を向いている。そこに恋愛成就の充実感はない。
結局、彼は肥大化した自己愛の結果、駆け落ちしたのであり、それは愛情というには稚拙で実に恥ずかしいもので、その二人の姿をラストカットで見事なまでに残酷に描いている。
でもこの自己愛の末の恥ずかしさが若いということの本質といえば本質で、これほど若さを見事に描いたカットもないかとも思う。
1度目観たときにそれに気づかなかったのは深夜TVで観たのでラストシーンがカットされ?ていたか、10年前の私の鑑賞力が鈍かったのか(おそらく後者だろう)。
このラストシーン発見というファクターが加わったおかげで、がらりと作品への解釈が変わった。
時間経過によって、こういうことがたまにある。
映画だけでなく、実生活の人間関係でも仕事においても。
ひょんなところから別のファクターが加わってがらりと評価が一変する。
その一変なるものが起こるには、そのファクターをどう解釈するか、という自身の成長や変化もあってだが。
まあ大事なのはラストシーンだよ、ということで。
written by 株式会社ソーソー代表取締役 下野友哉