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点と線 2006/03/03

 新幹線の窓から羽田空港を離陸したばかりの飛行機を眺めていて、この何気ない風景も、新幹線と飛行機の運行を成立させている膨大な人間の数と堅牢なシステムについて想像をめぐらしてみると、えらい時代に生きているもんだなと妙に実感した。

 現代の社会は、「能力」という名のもとで無数の人々を各産業、各職業に振り分け、社会に参画させるスキーム(方法、枠組み)で成り立っている、と言える。

 世襲でもなく、生まれた地域でもなく、「能力」によって振り分けられた労働に人々が参画し、無数の歯車が噛み合い巨大な文明社会が動いている。
ここまで高度に複雑化した文明社会は、そのスキームでしか維持出来ない。コンビニと冷房なしでは生きて行けない惰弱な自分としてはなおさらそのスキームに嬉々としなければならない。
憲法で記された職業の選択の自由なんてのも、このスキームの一つの仕組みである、という見方もできる。
職業選択の自由、とは、かなり乱暴に揶揄すれば「職業選択の義務を今の日本に生まれた子はすべて背負う」ということである。

 一応、義務教育から高等教育までの教育制度が「能力」の振り分け装置としての大きな役割を果たしている。
ところが「能力」と呼ばれる尺度はかなり曖昧で、選択という権利も実は不透明で、ゆえに残酷でもある。

 20代のころ、自分の人生が線で結べないことに漂流者のような不安を感じていた。
10、16、20、25歳の自分を並べてみても、それらの間に線が引けず、すべてが点で立っている。
それぞれの年齢の自分が存在していたコミュニティがリセットされている。
自分の「能力」を培い、判断するという目的のために、多くのリセットが待っている。
生まれ育った地域コミュニティですらも人生全体で見れば通過点にしか過ぎなくなっている。

 そうしてリセットの次が上手くいかない人の人生は、過去が線でなく点になっていくような、漂流する可能性がある。
こういった可能性は、たとえば江戸時代の人たちからすれば理解できないに違いない(もちろんどの時代にも例外の人はあるが)。

 「その線を引く役割が企業だ」--というのも一つの回答かも知れない。
「地域コミュニティの復活を」--最近よく言われる論に落ち着いてしまうのかも知れない。
文明社会を維持するためのスキームにより発生する「不可避の一現象」として捉えるしかないかも知れない。

 結局、窓の景色を眺め続け、微かな戦慄を憶えただけで、回答は出せなかった。


written by 株式会社ソーソー代表取締役 下野友哉